YOHEI OHMORI_GREATEST WOODS


This song has always been there in my ordinary days

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ベストアルバム"GREATEST WOODS"
大森洋平のセルフライナーノーツ

DISC1 CD

01.グライダー

01.グライダー

from 3rd maxi single「グライダー」2004

映画「1リットルの涙」挿入歌。
この歌に関しては、どこかの取材で喋った下記の言葉達が一番伝えてくれてる気がするんでそのまま載せときます。↓

歌うことしか…今想うと、歌でしか認められたことがないんです。
高校卒業してからすぐ歌で仕事が出来て、22くらいまでは勢いでいけて。自分のためだけに良くも悪くもやっていた。でも22の時、周りの友達が大学卒業で、自分自身も生き方を決める時期だと感じて。作品が作りづらくなってたし、唄うという理由に対しても迷いが生じてて。

で、人に逢いたくなくなって、日本最南端の波照間島に行ったんですよ。ここに行きゃあ誰もいないだろうって。で、泊まった民宿が、ま、民宿は4つくらいしかない島なんですけど、6人くらいが旅行者で、あとそこに住んでいる人。
でも毎日メシ一緒なんですよ。コミュニケーションとらざるをえないんですよ。そしたらすごくイイ奴らが多くて、サンシンの民謡を習いに来ている奴らとかもいて、で、毎日、飲めや唄え。
2,3日たってくると俺も徐々に酒も入ってるしだんだん自分の気持ちも出すようになってくるから、こんな感じで音楽やってて……って話をして、
『どうしたらいいのか、何を頑張ったらいいか、わかんないんだよね』って言ったら
『歌なんてお前が思ってるほど特別なものじゃねぇだろ』って話になって、それがガツーンと来て。
『誰にだって歌はあるし、でも伝えようと思う人間は少なくて、伝えられる環境にいるヤツも少ないんだ、やれるんならやれよ』と。
どこでもいいじゃん、唄いたければ唄え、唄いたくなければここにいてもいいと。
確かに…って思って、で、一週間ぐらいそこにいて、東京戻って、自分の気持ちを作り直すために動き出して……で、歌が出来たんです。

面白いもんですね、人に逢いたくなくて行った場所で、逢った人がきっかけになって。
それから、リリースはないけど、全国各地を回り始めていろんなアーティストと車に乗って行ったりとかして。そしたらね、前まではみんな敵だと思っていた感覚だったのが、しゃべるようになったんですよね、みんなと。で、みんなもちろんイイ奴らで。そんな悪い奴なんていないんすね。。笑

迷っていたこの4年間、なぜ俺はあせって空回りしちゃったのかなって考える。
遠い未来を見すぎていて、たどりつけないとへこんでっていう繰り返しじゃないですか。でもわからないわけで、遠い未来は。誰にも。一歩前ぐらいしか、現実問題わからないわけだから。それぐらいの光しか……。
それを踏まえて、またこういう唄う場所に立てたことが、また始まりを迎えられたことがね、すごくラッキーだと。唄うことを止めないで、止まらないで良かったと思いますね。

1歩づつ。1歩づつ。未だ同じように繰り返してますが。。。
何しろこの先も歌っていく上で、生きてく上で、俺にとって忘れちゃいけないものを「グライダー」って歌に出来たことは今も誇り。
大事に歌っていきます。これからも。

02.NO REACTION

02.NO REACTION

from 1st album「20R.P.M」1997 and 3rd single「NO REACTION」1997

デビューするちょうど1年前、95年の夏の終わり、18歳の大森少年は圧倒的な自信とごく微量の不安を抱えて上京した。
あまり記憶は定かじゃないけど、入りたての事務所行って言われたことで覚えてるのは「とにかく曲を創ること」。
もちろん周りの大人達は着々と様々な準備をしてくれていたのだと思うけど、俺は「?なるほど。すぐデビュー出来るわけじゃないのね。。。」「やべっ。どうしよっ。。。」と、平静を装いながら思ってたはず。笑
そして程なく初期の大森洋平ほとんどをプロデュース&アレンジしていただいた、星勝さんに会う。
終電で星さんの作業場に行き、始発で帰るまで、ひたすら曲を創ってた。
出来ては聴かせ、出来ては聴かせを繰り返す。
その中にこの「NO REACTION」も入ってた。
原型が出来て聴かせた時に星さんがとても嬉しそうに「洋平、これ、イケるよ。」って微笑んでくれたのが嬉しくてね。
小島(良喜)さんのエレピ、最高!

03.彼女

03.彼女

from 1st album「20R.P.M」1997 and Debut Single 1996

96年9月21日。
渋谷のタワーレコードの前のガードレールに腰掛けて、友達を待っていた。
「大森!ちゃんと、置いてあったぞ!結構良いとこに。。。ほれ(買ってきたCDを見せて)。やっちゃったな。だっはっは。」
自分で見に行くのが照れくさくて、本当に置いてあんのか不安で。友達に見に行ってもらったのだ。
「あー。そっか。。サンキュ。」なんつって、いたって普通に答えてたと思うが。

今なら言える。すっげー嬉しかった。
望んだ世界に踏み出せたことに、動き始めたことに、楽しいやら恐いやら、足元がゾワゾワしてたよ。ホントは。
忘れないよ。

04.傷つきながら

04.傷つきながら

from 1st album「20R.P.M」1997

創ったのは17の時。仲の良かった母方の爺ちゃんが死んだ次の日。
初めての身近な人の死。葬儀に向かう車の窓から見たいつも通りの町。
こんなに俺は悲しいのに、世界は普段通り淡々と動き続けていく。
当たり前のことなのに。ヒドく我が儘に傷ついた。
人の孤独を知った気がして、もっともっと強くならなきゃダメだって焦りにも似た感情で一気にその夜書いたように記憶してる。
そんな今となれば恥ずかしいような誇らしいような真っすぐさが煩わしく、長らく歌えなくなっていた曲でもあったのだけど、今回ベスト盤の曲目を決める際、自分の10代を端的に表している曲に思えたし、今こそ聴いてほしい言葉があると思いリストに最初に入れました。
このエネルギーともう1度向き合って、今度のツアーから歌ってみようと思います。

05.アイノウタ

05.アイノウタ

from 2nd album「DAY」1998 and 5th single「アイノウタ」1998

何度か人にこの曲が出来た経緯を説明したことがあるけど、大体が「はいはい。。わかったわかった」と信じちゃくれない。もしくは「お前、通報するぞっ!笑」となった。
簡単に言えば、創った記憶がない。起きたら(弾き語りが)曲創りテープ(当時はまだカセットテープ)に入ってた。のだ。本当なんだから、もう説明のしようもない。
確かに、良くも悪くもムチャクチャな曲だ。
のちに聞いた話によれば、この曲に関して(事務所はまず大絶賛だった)レコード会社ではSINGLEにするか真っ二つに意見が分かれ揉めたらしい。
ま、今はどうなのかわからないけど、SINGLEってものは当時テレビにせよラジオにせよ長くて5分以内(少なくとも全体像が2、3分で見えてないと)のところこれ6分半。
要するにかけてもらえない。。。。そんなんで良いのか!?
結局、「こういう曲を自信を持ってSINGLEに出来ないような会社はだめでしょう!!」と上まで掛け合ってくれた人達がいて。。。
そんな愛に支えられて今の大森洋平があることは間違いない。
そして、極端に言えばこの曲を心底好きだった、ある意味偏った大森洋平シンパの方々の協力があって今回の"GREATEST WOODS"は出来上がってると言っていいと思います。

「WHAT IS LOVE?」 
ずっと探し続けてる。

06.MIND NUMBER 9

06.MIND NUMBER 9

from 2nd album「DAY」1998 and 4th single「MIND NUMBER 9」1997

「MIND NUMBER 9 意味などない 訳もわからない 始まるのさ 自分を信じて」。。。。
うん。自分を信じて解釈してください。何がどうあれ君は君にとって真に正しければ良いのだ。ケツは自分で拭けよ。。

エピソードとしては、レコーディング中、若さゆえの傲慢なこだわりがあって、超一流のミュージシャンを捕まえて、
「こんな風に弾いてくれませんかっ!」ってスタジオにあった象さん(おもちゃの)ギター歪ませて、弾けてないのに弾けてる体で聴かせてホントにそんな感じにしてもらったことかな。苦笑
次の日にTDでロスに行かないといけないのに、ギリギリまでごねて今聴いてもらってるカタチにしてもらいました。
んで眠らずに成田行きました。。売れっ子みたいに。笑

07.天使の詩

07.天使の詩

from 2nd album「DAY」1998 and 5th single「アイノウタ」1998

俺の好きな映画監督ヴィムヴェンダースの「ベルリン天使の詩」のサントラにもし入れてもらえるなら!ってイマジンして書いた曲。
人は誰もが元々は天使。(地上にいる)誰かに恋をして人間になり、世界に色がつき血が流れ出す。
そして、自分だけの為にしか飛べなかった天使が、人間になって翼もなくして誰かのために飛ぶ(寿命のある人生を生きる)。
あくまでも俺の解釈ね。
俺もリスナーとしてとても好きな曲です。

08.US

08.US

from 3rd album「グライダー」1999 and 1st maxi single「US」1999

デビュー以来ずっと行きたかったロンドンで。レコーディング出来てる自分(あげくアビーロードスタジオで録らせてもらって)。
なのに、、、なのに。何だかいろんなことで迷ってた時期。
気持ちはどん底の中で、1曲ぐらいはアッパーな曲を!ってHIKIDASHIを穿りまわしてなんとか見つけだした曲。
今でもしょっちゅう歌ってるね。
でも、この時行かせてもらったロンドンでの出会いや体験は今でも本当に貴重な財産。
自分のちっぽけさ、日本人ってことへの意識、歌うこと。今に繋がる様々なことをこのアルバムのレコーディングでいた約1ヶ月の間に学んだ気がする。

09.ラブレター

09.ラブレター

from 3rd album「グライダー」1999

素直な唄。良きにつけ悪しきにつけ。
正直に言葉にする事だけが誠実さだとただただ頑なに信じていた。
自分自身の人生にとってはある意味正しくもあったが、他の誰かに対してもそれを求め、伝え、人を傷つけてばっかりいたなとも思う。

そんなことも感じながら今唄うこの唄はきっと同じ言葉だけど違う伝え方が出来てるはず。
やっぱり未だ「永遠は信じていない」けれど、瞬間の積み重ねの先にある未来が願わくば今よりも優しく強くあるように。
今日も....

10.バタフライ

10.バタフライ

from 3rd album「グライダー」1999

このBメロ創った俺天才っ!笑 すいません。。。

当時、週刊誌の取材で記者が会うなり「何故これをシングルにしないの?!おかしいんじゃないの?!」とわざと俺を怒らせて喋らせようと捲し立ててきたことがあった。
22、3歳の頃の俺が一番嫌いだった下世話な物言いに実際ガッツリ乗せられて言い合いになって。。。
どんな記事にされたかは覚えてないけど、ある意味、本音引き出されて、ヒドく悔しかった。
それは確かにその記者が言ってることには一理あって、メジャーでやってる限り「君の繊細な気持ちだけをひけらかされてもしょうがない」「エンターテインメントの世界にいるのだから」。
その意味でこの楽曲が明らかにシングルだろう?と。

今思えば、あの記者はとてもしっかりアルバムを聴いてきてくれてたし、非常にプロな熱のある記者さんだったし、有難かったな。
今だったら仲良くなってたかもなぁ。。。

ま、でも誤解のなきよう書いとくけど、あの時も今もエンターテインメントだから!つって割り切れるような唄うたいではない。残念ながら。いや、幸運にも!笑
ただ、少しは理解出来るようになっただけさ。
そして確かなのはやっぱり今聴いても「バタフライ」は良い曲だってことだ。。
さんきゅー!

11.ファイナルアンサー

11.ファイナルアンサー

from 2nd mini album「deja vu」2004

Mini Album「deja vu」からの1曲。
このアルバムのレコーディングはある意味、画期的。ってかバカ。笑

街の雑踏で、海で、歩道橋の上で、生まれた町の河川敷で、走ってる車の中で、ダムのトンネルでetc...。
結局使わなかったものも含めると、本当に思いつく様々な場所に発電機を持っていってREC機材を動かして。
今までつけてた、着せてもらってた鎧を全部脱いで、ギター1本唄った。
だから、それぞれの場所のノイズや空気と共に、裸のままの唄がそこには入ってる。
上も下も右も左もなく、ただ大森洋平としてそこに立ち、唄ってる。
強がり、怯え、解らず、必死で、信じて、、、、、。

それを作品として残させてもらえたことは、フリーになって今も続けてきてるモチベーションの1つな気がする。

12.Lost in Love

12.Lost in Love

from 1st mini album「Replace」2003

公私ともにデビュー間もなくから親しいミナチンこと皆川真人氏に作品としてアレンジしてもらったお初はこの曲。
冒頭の「カラカラっ」って音から、ヤラレタ。
この人の鍵盤、アレンジ、人間性、本当にツボです。

出会いに感謝!

13.キリン

13.キリン

from 1st mini album「Replace」2003

何でだか、わからない。
歌詞が書けず、動物園にいった。
今にも雨が降りそうな日だった。
ぼんやりとただぼんやりと檻の中の動物達、そこにいる人達を眺めていた。

パラパラと雨が降ってきて、檻のさらに奥の部屋に入れられたキリンがとても窮屈そうだった。
何だか苦しくなった。
子供の頃の自分を思い出していた。自分が大人になっていることを知った。
何もかもがヒドく怖くなった。
忘れちゃいけない、でも忘れてしまいそうな、大切な感情が溢れた。

帰り道、メロディーと言葉が降ってきた。

14.逆光

14.逆光

from 3rd maxi single「グライダー」2004

日本海生まれなせいなのか何なのか、どこか悲しみの抜けない曲が多くてさ。苦笑
1度でいいから突き抜けるような曇りのない明るい唄が書いてみたかった。なんつって書いた曲。
どうですかね?茅ヶ崎あたりの海、見えませんかね?ハイカラな。笑

そして、今こそ胸に「everything's gonna be alright!」
良い夏を!

15.芝生

15.芝生

from 2nd single「誰のためでもなくて」1997

2nd single「誰のためでもなくて」のカップリング曲。
今は無き8cmシングルだからね、どうしても入れておきたかった。

曲の舞台は、大森洋平を唄うたいにしてくれたと場所と言って過言じゃない故郷金沢の犀川。
10代の俺はそこで1人で2人で大勢で本当にたくさんの時間を過ごし、恋をし、夢を見て、唄を創った。

16.スイレン(naked shell ver.)

16.スイレン(naked shell ver.)

from 2nd mini album「deja vu」2004

................................。
.....................................。
.........................................。
.........。うん。

聴けばわかるさ。ありがとう!!!

道は続く。

DISC2 DVD

01.NO REACTION (字幕ありVer.)

01.NO REACTION (字幕ありVer.)

from 1st album「20R.P.M」1997 and 3rd single「NO REACTION」1997

まぁ見事なガニ股。。。たまりませんなぁ。
グラサン、少し演技してるっぽい表情。。。たまりませんなぁ。
あははは。

主人公の中の2つの人格(簡単に言うと理性と野生)が闘ってるです。

撮影場所は、新宿の東口から西口抜けるトンネル、銀座のガード下、みなとみらいの遊園地、千代田線ホームや地下鉄の中、都庁のエレベーターとか、、んでLAでの映像(運転してるヤツとか、ホントはすっげービビってるから左ハンドル。笑)もあるな。

02.MIND NUMBER 9

02.MIND NUMBER 9

from 2nd album「DAY」1998 and 4th single「MIND NUMBER 9」1997

撮影したのは98年である。

このブレた映像。 後付けのエフェクトではないのだ。
まだギリギリそんな時代ではなかった。今だから笑えるが、制作費も制作する予定もホントはなかったのに。
今回、「彼女」の完全版を見つけてくれた人でもある板屋さん(SMEの映像プロデューサー)が2人で撮るんで!って小さなスタジオで手作りしたんだよ。
本当にブルブル腕をわざと震わせながら撮ってんだぜ~ぃ!
2人の情熱撮、とくとご覧あれ。

03.BEFORE AFTER

03.BEFORE AFTER

from 2nd mini album「deja vu」2004

今回の編集してる時にスタッフの誰かが言った「誤解を恐れず言うのなら、洋平は路上の人だね」「旅の途上がよく似合う」。
よく間違われるけど俺は基本ストリートミュージシャンではない。というかこの映像に入ってる代官山の路上で2001年周辺頃に唄った以外は、ほとんどやってないし、あまり得意な方ではない。
それでも、この映像見てると俺もよく似合ってると思う。ただ路上で唄ってることではなく、とにかくどこでも唄ってる感じ、そして旅の途中が。い~ね!このPV。

そういえば、いろんなキャンペーンやインストアイベントやライブの映像が入ってるから、映ってる人いるんじゃない??
その辺もぜひ楽しんでね。

04.スイレン

04.スイレン

from 2nd mini album「deja vu」2004

「何待ち?」「雨待ち。笑」
待ったね~、この時は。「明日は大雨っぽいから準備しといてね」「降るには降ったけど、思ったより小雨だね。今日はやめとこう」、、、、。ってやりとりを2週間ぐらいかけて。

んで満を持しての、撮影日。「やったよー洋平。台風来てるよ~」「にゃっはっは。いいすね~」笑。
で、こんなん出来ました。
マジでリアルどしゃ降りです。
強風でカメラ倒れるわ、この弾いてるギタースタッフ手滑らせて折れるわ(撮影後だったのが不幸中の幸い)、初夏だったと思うけどやっぱりあんだけ濡れると身体冷えまくるらしく俺ブルブル震えちゃうわ。てんやわんやだったけど良いの撮れてるよね。
やっと見てもらえたぜぃ。笑
ちなみにCDの方の「ファイナルアンサー」はこの歩道橋でRECしたんだよ(下を通ってる電車の音、入ってるでしょ?)。

05.PLACE

05.PLACE

from 1st mini album「Replace」2003

明確に計画的にではないのだけど、「BEFORE AFTER 」「スイレン」そしてこの「PLACE」は映像として3部作というか続きものなんだよね。

で、この「PLACE」で求めたのは「この旅の果て」で。
その「果て感」のある場所をみんなで探して探して、思ってもみなかったけど、映像スタッフが見つけてきてくれた場所はロシアの極東ウラジオストックだった。
そこは、人、建物、空気、、、とにかくいろんなものが剥き出しで、貧しく、でも今の日本には無くなったチカラに溢れていて、確かに治安も悪く、怖いとこも沢山あったけどホント行く場所行く場所で衝撃を受け、パワーをもらった。
うまく言えないけど、大人も子供も怒ってる人も笑ってる人も、みんな本気だった。
何だろうな、新しい匂いがプンプンしてたんだよな。ってか「ここから始めるしか、生きるしかないんだ」っていう空気が満ちてるように俺には思えたんだ。とにかく。

「果ては始まりの場所」なんだなとその時感じた。
俺としては「旅の終わり」の場所を探して行ったつもりだったのに。
また新たな旅が始まるだけなんだな。無意識に「果て」という名で求めてたものはこれだったんだな、と。

この映像は2003年頃に撮ったものだし、上に書いた気持ちもあの時感じて喋っていたことを思い出してまとめたものなんだけど、今こそ僕らに必要な感覚かもしれないね。
「ここから始めるしか、生きるしかないんだ」ってもう一度、こっから。

06.キセキ

06.キセキ

from 2nd maxi single「キセキ」2004

乃木坂ソニーで撮影のために円形ステージを作って行われたライブ。

しっかし、シングルのPVなのに、音もCD使わずにライブの生音っていう。笑
そういうの、好きね~俺っていうか、その周りのスタッフも。

Special Features

ex1.彼女(ショートバージョン)

from 1st album「20R.P.M」1997 and Debut Single 1996

ex2.誰のためでもなくて

from 1st album「20R.P.M」1997 and 2nd single「誰のためでもなくて」1997

ex3.誰のためでもなくて TV SPOT

from 1st album「20R.P.M」1997 and 2nd single「誰のためでもなくて」1997

ex4.20R.P.M. TV SPOT

from 1st album「20R.P.M」1997

ex5.シェルタリングデイズ ビデオクリップ(1コーラス北海道限定)

from 2nd mini album「deja vu」2004

ex6.LOVE WAY(YUTAKA OZAKI Tribute)

from「BLUE ~A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI~」2004

ex7.彼女(フルバージョン)

from 1st album「20R.P.M」1997 and Debut Single 1996

Special Featuresはとにかく「彼女」のフルバージョンでしょう!19歳の俺です。
「NO REACTION」だって20歳なりたての映像なはずなのに、この「彼女」の少年は誰?!って、問い合わせしようかと思ったもんね 笑。
10代の質感(肌とかそういうのだけじゃなくてね、醸す何かがね)ってのはやっぱ特別なんだなぁとホント興味深く観ましたよ。
あと、個人的には「 LOVE WAY」の画面からも判るヒリヒリ感は、たまらなく良いです。

ま、何しろガッツリこってりCDもDVDも楽しんでください。
少しでもみんなの心に貯まるものになってれば幸いです。

そして、これからもよろしく!ってか大森洋平はこれからです!!!!
そのうち「GREATEST WOODS」を「GREATEST HITS」に変えたるっ。笑
にゃっはっは。いぇい!


本当にみんなありがとう。。。

2011.7 大森 洋平